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内田劔之助
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”和”を大切に、労惜しまず紆余曲折経て再起果たす
「台風後の復旧作業でボイラー整備のアルバイトを頼まれた。日当は七百円から一千円だったが、いい商売になった」。これがきっかけとなって、ボイラー業界に身を投じた。間もなく、昭和三十五年に罐機化学工業を設立、役員として経営陣に加わった。
「独立後、まず困ったことは資金繰り。工事代金が現金で回収できず約束手形が八割以上もあった。銀行には信用がなく、取引先の部長さんらに、その手形を利息が高くても現金にしてもらったころも何度かあったし、友人の質屋で現金にしてもらったりと、大変苦労した」という。
また、当初はトラブルもいろいろあった。「ボイラー改修に行くと、まだ余熱があって、とても仕事ができる状態ではない。明日にはレンガの張り替えが入るというし、怒られるのを覚悟した。すると、連れていった職人の親方が濁酒でも飲もうという。腹を括り、一緒に飲みにいったが、翌朝九時にはきれいに片付けていた。人との付き合い、和の大切さを学ばせてもらった」。
素顔のけいざいじん2 中部経済新聞社発刊より抜粋 |
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